2017年11月18日土曜日

故郷


投稿は半年ぶりだ。ブロガとしては失格である。(というかわたしはブロガなのか?)

最近、いいオッサンなのに、アスリートかい!!ってくらい。夜や休日は体を動かすイベントが忙しい。(アスリートに失礼じゃ!って程度だが。オッサンなので実際疲れる)

11月17日(金)都合により、運動は休み。端的に言えば、日曜にマラソン大会に出るので、筋力回復のためのお休みだ。

そんなわけで、特別企画として、「25年半ぶりに帰宅?!」してみた。
以前の投稿「東京タワー~ノスタルジック紀行~」の内容に則るなら、都営三田線芝公園を起点にした方がリアルなのだが、時間が無い。とりあえず、今回は五反田スタート!!

山手線に乗り込む。25年前は205系だったが、今時はE231-500だ。最近は新型E235も走っている。

「さぁ帰るよ!!」


実はこのあと西武新宿線に乗りたい。普段の私なら、JR新宿で降りて、歩いて、西武新宿にいき、始発から座って行くのだが。時間の都合で、混むけど高田馬場で乗り換える。

個人情報保護のため、わざとボカシているけど(>うそつけ!)、JR高田馬場ホーム。乗り換えの階段。ここは昔のままだ。

乗換通路はただの通路だったと記憶しているが、広くなっている。お店もある。生ジュース屋さんに行列も出来ている。

ホームも電車内もとても混雑している、黄色くない急行本川越行き(30000系)に乗り込む。人が多くて写真を撮ったら怒られそうなので写真は無い。黄色くない電車ばかりになっていた。
そして、鷺ノ宮で沢山降りて、上石神井、田無とどんどん人が減っていく。途中他社線の乗り換えが無いからというのもあるけど、全般的に、都心に向かって居住地を移動させている人が多いんじゃなかろうか?とか思ってしまう。

小平で拝島線に乗り換えた。拝島線は黄色かった。

玉川上水駅に到着!ホームに誰もないのは、いなくなってから撮ったからです。そんなに田舎じゃないんだぞ!!

さようなら黄色い電車2000系....

以前来た時は昼間で、散歩がてら玉川上水から歩いたけど、やっぱ時間が無いので、モノレールに乗り込む。

かつての我が街が見えてきたので、写真を撮ろうとしたら、ガラスにカメラと手が写ってしまった。

レンズをガラスに密着させれば良いのだ。

終点上北台駅。25年前にモノレールは無かった。便利になったものだ。

この駅に降り立つのは初めてかと思ったら、この近くに入院していた亡き母の見舞いの帰りにここから乗って帰った事があった。マック(上方の言葉では「マクド」)が見える。よく喫茶店代わりに、友達と入り浸っていたっけ?

さようなら。多摩都市モノレール。

そこから歩いて、5分ぐらい。色々知らない店が出来てたりするが、うどん屋と警察は健在だ。(警察は簡単にはなくならないだろう。)

そして、ウチに到着。えーーーーー!家がない。壊されている。私はどこへ帰れば良いの?

フェンスで囲まれて、よく見えない。フェンスの間にアクリル板があって、中が見えるので、そこで写真を撮ってみたら、ストロボが反射して、私の手しか写っていない。

「僕には帰る所が無いんだ....こんなに寂しい事は無い....」

----
とまぁ、わけのわからない方向に脚色してしまったが、私はそれこそ25年前に実家を離れて独立したし、その後実家も引っ越してしまって、その後、私が住んでいたこの団地が、老朽化(と過疎化?)のため、一部建て替えが始まって、3,4年前ぐらいだったか、とうとう私が子供の頃から大人になるまで住んでいたあたりの区画が、取り壊されるという情報が幼馴染のO君から入って来た。
2年前に行ってみたら、フェンスに囲まれているだけで、特に壊しに掛かっている様子では無かった。

そして17日、その幼馴染から「ついに解体が始まった」という報が黒電話....じゃなくてメッセンジャーで入り、「ブラカズモンついでに、最後にお別れを言いに行こう」....いや、「最後にお別れを言いに行くついでに、ブラカズモンに載せよう」と思った。

ちなみに、私が撮影に失敗したアクリル板のところは、暗いとわからないが、昼間はこうなっている。この画像はその幼馴染が、定形郵便....じゃ無く、SNSで 送ってくれたのだが、無断で載せてしまおう。
奥に見える建物が、私が生まれ育ったところだ。(正確には生まれたのは病院の産科だが。)手前の建物は大方解体が済んでいる模様。分かる人にしかわらない言い方をすれば、「97号棟が解体されている。我らが96号棟は解体準備のため、壁に囲まれている」という状況だ。


上記写真の反対側、私が住んでいた方に行ってみた。壁に囲まれていてわからない。
送って貰った上記の昼間の写真を見た限りでは、この右側には壁は無く、建物が見えそうなものだが、暗くて、街路樹が元気良すぎて、見えなかった。
そして、下の街灯はいるんかいな?と思ったが、たまに人が通る。
道行く人は、不審者に見えてもおかしくない私にも無関心な感じだ。

2年前に高校時代の親友を付き合わせて、訪れたときの写真。フェンスがあり立ち入り禁止だが、壁は無い。取り壊しが始まる気配も無かった。
左上が私が住んでいたトコ。手前の出っ張っているところは、私が出ていったあと、増設された部屋だ。たまに帰ったときに入った程度なので、この出っ張った部屋にはあまり馴染みが無い。

ここはこの団地でも最北端。南の中心の方を見てみる。まだ解体されず使われている住宅や、建て替えられて高層化した建物があるのだが暗い画になってしまった。

ちなみに、2年前の写真。撮影の向きは逆だが、昼間はこんな感じ
フェンスの内側の街路樹が、この2年で成長したのを感じた。この写真は年末なので、イチョウに葉が無い。

この団地は私が住んでいた当時、確か人口約20000人。世帯数約5000世帯(と社会科で習った気がする)。いまは建物は減っても、高層化が進んでいるので、どうなっているのかは分からない。当時は大所帯につき、1~20のブロックに分かれていた。
我らが20ブロックの西側には17ブロックがあった。主に2階建ての区画だった。今は畑になってしまったらしい。

参考写真・2年前の写真を見たら、実はその頃は既に畑になっていた。

参考写真・これは3年足らず前。2014年の8月に撮ったものだが、ひまわり畑になっていた。


少し南に移動。車道があるのだが、遮断されている。(またしても、分かる人にしか分からない言い方をすると、90号棟と95号棟の間の道)
枯れ葉が、寂しさを加速させる。って、解体する区画が寂しいのは当たり前だ。

ちなみにいつものアレだが。

やってませんよ!、急いで来たので、それどころじゃ無かった。というかお別れは素面で言いたかったというのものある。

今も建て替えが無く、人も住んでいる14ブロックと更地の16ブロックの間にポストがポツンとあった。
なんだか、こんなポストとか、古くからある看板とか、なんか脳よりも体が覚えている気がする。今思うと、このポストが私のかつての家からは直近で、チョコボールの銀のエンゼル5枚、目出度く集めたとき、おもちゃの缶詰をもらうべく、応募ハガキを出したのもこのポストだったという、かなりどうでも良い思い出が蘇ってきた。


この道路の左右には、住宅がビッチリあった。
建物が無いからか、私が大きくなったのか。狭く感じる。
さようなら。故郷。もう二度と来ることは無いだろう....

と思ったが、きっとまた来る気がもする。
なんだか、東京都なのに、過疎化しているよな。高度成長期と第二次ベビーブームの先を見据えない行き過ぎたニュータウン構想の反動がここに出ているの?この件については、別に行政を責める気は無い。 東京近郊衛星都市を中心にあちこちで起こっている問題だ。住宅を大量に作りすぎた?、少子化対策を今まで疎かにしてきたから?、利便性の良いところに、高層マンションとかがガンガン建っているから?、色々絡んでいるんだろうなぁ~とか、天下国家とか色々思いを巡らせたり。

西側の通りに居酒屋というか、今流行りの言葉で言うと、「バル」っぽい店がある。
この建物の形状が頭に強く残っている。昔はスナックとかだったかな?まぁ子供には関係無い店だったと思う。

写真も芸風もブレてしまったが、ブレを戻す。
バスを待つ間。ミニストップで、お酒ゲット!

多分、少し歩いて、上北台に戻って、モノレールに乗った方が早いのだろう。
でもあえて、私はバスを待つ事にした。引っ越しは車でやったけど、最後に出ていく時はバスでこの街を後にした。(当時モノレール無かったし。)
だからあえてバス!。
バス停も変わっている。私の住んでいたところの前にあったバス停は廃止になっている。もっと東に、東大和警察署前バス停が新設されている。まぁその方が現状では有用だと普通に思う。

(参考資料、東側。東大和警察前バス停。先程のアクリル板の近く。)

(酒を求めて?)西側に来たので、実際は「第五小学校入り口」バス停から乗り込むつもり。

うわー!バス停の名前が変わっている。
そう確かに、我らが第五小学校は廃校になっている。隣の六小と合併して、「雷塚小学校」に変わったとか。(急激な人口増加に対応するため、2つの小学校が並んで建設されていた)だったら、「雷塚小学校入口」にすべきだろ!(>うっせーよ!(by立川バス))
ちなみに、運行系統は確か「立22」だったが「立23」が来た。でも「立22」も存在している模様。玉川上水が改修されてコースが少し変わったから?まぁどうでも良いのだが。

これも2年前に撮った参考写真。我らが小学校の跡地にある記念碑。初めてこの碑を見たときは、涙が出たっけ。
さようなら。母校。
ちなみに、出身高校も合併して別な学校になっている。
なんだか、「さよならだけが人生」になってきた。
出身中学校はどうだろう?ググって見た感じ、中学校だけは無事らしい。

バスは途中モノレールに沿って走っている。あえて途中で乗り換えずに、立川まで行った。
直前に玉川上水行きのバスが行ったあとだったので、しばらくは貸し切り状態だった。まぁモノレールがあるし、この時間の上りが空いているのは当然だ。
立川駅到着。最近は立川駅前のバスターミナルから発着するらしい。昔は丸井の駅寄り、もっと昔は、旧伊勢丹(現ビックカメラ)前あたりから発着していた。

電車を待つ間、タバコでも吸おうと南口の喫煙所に向かうと、消滅していた。
というか、去年の夏に既になくなっていた模様。行政!横暴だぞ!
....はともかく、やり過ぎはかえって良くないとも私は思うのですよ。私は諦めて吸わなかったけど、その辺で吸う人きっといるし、ポイ捨てしちゃったりしますよ!多分。
というか、25年前の時代に浸っていたのに、一気に現代に引き戻された気がする。

ほんとに喫煙所、綺麗さっぱり。無くなっている。
確かに健康に悪いものだし、吸わない人から見れば、煙いし臭いし、受動喫煙も嫌だしってわかるんだけど、ちょっと叩き過ぎじゃありません?

「現代に戻された」と書いたけど、私にとっては、生家も、ここ立川も語り尽くせぬほど、思い出満載の場所。
本当の自宅に帰るべく乗り込む電車が、なんだか私の中で「現代とか現実に戻るタイムマシーン」に見えたのは、酒が回ってきた証拠か。

0 件のコメント:

コメントを投稿